ももクロの初主演ミュージカルのリピート観劇が止まらない話 | ももクロ体験談

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ももいろクローバーZ、そのメンバー百田夏菜子ちゃんの応援ブログです。本当はほとんど落書き帳です。Twitterアカウント:nobusen2

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今日は先日観に行ったももいろクローバーZ初主演ミュージカル『ドュ・ユ・ワナ・ダンス?』が最高だったのでその話です。 最初は2回観られれば満足、と思っていたはずなのに、今日気がつくとステージに向かって熱い拍手を送るのが5回目でした。


  ※これから観る人が読んでも楽しみが萎えないように書きましたが脚本の内容などにガッツリ触れるので「事前情報を一切入れずに楽しみたい」という方は先に本編をご覧になってください。 


では。






 この作品が観られて本当に良かった。 
ももいろクローバーZの4人が、そして私の推しである百田夏菜子さんが昨日よりもっともっと好きになる作品です。
私がそうでしたが多分一部の人は世界観の中毒になります。  

まず先に書いておきたいのが素晴らしい共演者の方々。 シルビア・グラブさんと妃海風さんがミュージカルの大先輩の確かな実力でこの作品のミュージカルとしてのクオリティを飛躍的に高めてくれました。  
今回の舞台はジュークボックスミュージカルということで、劇中歌のほとんどがももクロの楽曲になっています。 
ももクロの曲って、キャラソン的というか、いわゆる専用武器みたいなところがあって、ももクロ以外の人が歌っても魅力的に見えないことも多いんですよ。 

ですが、 お二人はその歌唱力で見事ももクロ楽曲をこのドュ・ユ・ワナ・ダンス(以下DYWD)の世界観に取り込んでくれました。 本当に土下座。三点倒立。  
私が「ももクロが歌わないももクロ曲」で特に感動したのは『HAPPY Re:BIRTHDAY』ですね、なんて言わなくても観た人みんなか言うのではないでしょうか。   

さて、それでは私が特に良いと感じた曲を3曲と物語の感想を、あらすじを雑に振り返りながら書いていきます。 


  1.『WE ARE BORN』 


 富士ヶ丘高校ダンス部のカナコ、シオリ、アヤカ、レニの4人はダンス大会決勝の前日の帰り道、歩道に突っ込んできた暴走車に轢かれる事故により帰らぬ人となります。 
 序盤の展開はブレーキが壊れたようなスピード感です。明日の決勝に向けてワクワクが止まらない彼女達に、暴走車はあっという間に突っ込んできます。  
そしてそこで、この舞台の栄えある一曲目として歌われるのがこの『WE ARE BORN』。 

 この曲はヒトが生まれる瞬間の歌です。 誕生をただの幸せではなく「未知と苦悩に溢れた覚悟の世界への踏み出し」として歌うこの曲には生きる、ということに向き合う強さが漲っています。
  この曲が歌われる間に、シオリ、アヤカ、レニは天使(?)に連れ去られ、次の人生へと生まれ変わります。 

そして「ヘッドホンをつけダンスに夢中で事故で死んだことに気が付かなかった」カナコは最後までステージに残り歌い続けます。  

この時のカナコ(夏菜子ちゃん)がめちゃくちゃ格好いいです。そして、ここで面白いのが「死んだことに気が付かなかった」はずのカナコが、この曲中で迫り来る天使達をはね退け、生まれ変わりを拒絶していることです。  

なるほどこの曲は、生命を終え、生まれ変わってしまうシオリ、アヤカ、レニの3人を歌いながらも、魂を残したカナコの生への執念を描く曲なのだ。

 粋な選曲で1曲目から物語の情景に抜群の選曲で私のテンションは天まで登りました。 ほんとにめちゃくちゃ格好良いのでオススメ(?)!   


 2.Do you wanna dance?(ドュ・ユ・ワナ・ダンス?)   


劇中、この曲のフレーズは「カナコ達が決勝で踊るはずだった4人を繋ぐ曲」として何度も歌われます。それはもう何度も何度も。  

何度も歌われるこの曲の同じ一節が、その場面によって多幸感溢れるメロディにも胸を締めつける旋律にもなります。絶対に飽きないのすごい。 
 このミュージカルの「笑いあり・涙あり」という要素を凝縮したような1曲。
物語に散りばめられることで同じ曲で何度も楽しめるのがミュージカルなんですよね。すごい。  

ドュ・ユ・ワナ・ダンス中毒になってしまった私はこの曲の原曲をApple Musicでエンリピして身体の震えを止めています。 パルコステージはこの舞台が終わった後サントラを必ず売るんだ。


   3.天国のでたらめ   


このミュージカルのために書き下ろされた10月に配信されるももいろクローバーZの新曲(ももクロは現在8月から12月まで5ヶ月連続新曲配信を行っておりその記念すべき第三弾(早口)) 

 天国の管理者ミーニャ(シルビア・グラブ)と坂上(妃海風)から時空を超えて移動できる鍵を奪ったカナコと、彼女に生まれ変わり後の世界から連れ出されたシオリ、アヤカ、レニを合わせた4人はダンス大会の決勝に行くはずが何故か「4人がアイドルになる世界線」にワープします(後にこの世界はカナコの夢を具現化したものであるということがわかる)  

アイドルグループ『HEAVEN』として路上ライブからドームライブまでのサクセスストーリーを歩んできた4人ですが、生まれ変わりを拒否して自分の夢の世界を描き続けるカナコの魂は次第に弱っていきます。  やがて4人はそれぞれの次の人生へ戻る(カナコは生まれ変わる)選択をします。


  カナコの夢の世界を離れ、元の世界に戻れば4人はこれまでの記憶を失い、次の世界での人生を再開することになります。

  そんな選択をした4人の別れの瞬間の曲が、この『天国のでたらめ』。  
生命を一杯に踊らせるこの作品の最後に 「生まれ変わっても私を忘れないで」 と4人はお互いに願うように歌います。  

曲の後半、互いの手を握る4人がやがて散り散りになっていってしまう瞬間で私の涙腺ダムは決壊です。お疲れ様でした。  

きっと全公演が終わった後、ドュ・ユ・ワナ・ダンス中毒の私は10月12日に配信開始されるこの曲を処方されて身体の震えを止めるのでしょう。10月12日に配信開始です。10月12日。  

 以上3曲が、全27曲のDYWD 披露曲の中で私が断腸しながら選んだハイライト曲です。 これもきっと観た人によって千通りの違いが出るでしょうし、もう一度舞台を観た私は違う曲を挙げるのだと思います。    
さて、私が一番書き残しておきたいのは自分の作品全体を通しての所感なので、以下に書き連ねていきます。

ここから先は私がこの作品に見ている夢の世界の話をするので、「この作品は○○なのだ!!」と強気の語尾を使うかもしれませんが温かく見守ってください。    


【ドゥ・ユ・ワナ・ダンスは何を描いた話だったのか】  


 実は私、この作品を最初に観終えた時、物語の中に腑に落ちない箇所がありました。   
先に雑に紹介したあらすじの中にある「4人は何故か自分達がアイドルとしてサクセスストーリーを歩む世界線に飛んでしまう」という部分です。

 この世界線にいる第二幕ではももクロ楽曲が普通に「4人の所属するアイドルグループHEAVENのコンサート披露曲」として歌われていきます。

    率直に 
何故突然 
アイドルになった??  

 と思いました。

 いや、たしかに物語の冒頭から一貫してカナコが口にしていた「4人で踊りたい」という希望は満たしているけど、それだけでアイドルになってしまうのは説得力に欠けるのでは… 

それも、「路上ライブから始めてメンバーの脱退などの苦難も乗り越えてドームコンサートへ」と、ももクロの活動の軌跡をなぞったとしか思えない流れ。 
もしこれが「せっかくだしももクロのライブを取り入れたい」といった安直な意図で脚本に組み込んだのだとしたらそれはあまりに無粋じゃないか…  などと思いました。 

私のその疑問が消えたのは終演後しばらく経ってから、物語の終盤で明かされた「4人がアイドルになる世界線は全てカナコの夢」という言葉を思い返した時です。 

 私の頭にふと浮かんできた裏設定が、私の中のドゥ・ユ・ワナ・ダンスの世界観の謎に納得を与えていきました。  

それは
千田カナコは、前の世界で百田夏菜子だった。  

玉木シオリ、笹野アヤカ、高沢レニ はそれぞれ前の世界で 玉井詩織、佐々木彩夏、高城れに だった。  


というもので、そう考えると、辻褄が合うのです。  

カナコの魂の潜在的で深層的な部分にある、かつて4人で歩んだ前の人生の記憶が夢としてリピートされ、あの頃(今のももクロ)をなぞったアイドルとして歩む世界が作り上げられたのではないか。  

グループを辞めるというメンバーの告白に狼狽することなく優しい言葉をかけることができたのも、「全てがカナコの思う通りになる」夢の中で、かつての彼女達の経験を踏まえ、去りゆく人と歩みを続ける自分達双方にとって一番優しい言葉をすぐに発することができたのではないか。

   カナコが物語の冒頭から「4人で踊って」「みんなを笑顔にする」ことに強い意志があったのは。。。 それができる今が人生で一番幸せ、とシオリ達に「らしくない」と言われるほどに幸せを噛み締めていたのは。。。  

考えれば考えるほどに、 カナコの深層心理にはかつてももクロ百田夏菜子だった頃の記憶があり、その頃の生き方を再現しようとする一貫した意志がある。 

 前述した『WE ARE BORN』のシーンにて、彼女が無意識化で生まれ変わりを拒絶していたのも彼女の世界を超えた意思によるものでしょう。

   カナコがそうだとするとシオリ、アヤカ、レニを合わせた4人全員に同じことが言えます。  

彼女達が高校一年生の春の、高校で知り合った4人が、たった4人だけのダンス部の結成したことは偶然だったのか。 
もしかするとこの物語のラストシーンと同じように、彼女達はお互いの存在に何かを感じて必然の出会いを果たしたのではないか。 


  もし、彼女達がももいろクローバーZ4人の生まれ変わりだと考えることができるなら、この作品が少なくとも私達ももクロファンに与えるメッセージは違ったものになります。 

 ももいろクローバーZのアイドル活動はいつか終わります。 グループとしての活動限界によるものなのか、彼女達の生命としての活動限界によるものなのかわかりませんが、その時は必ず訪れます。  

カナコはかつて永遠ではなかったあの頃を取り戻すように、自分の夢の世界に永遠を求めたのかもしれません。

  しかし、彼女達の繋がりはいつどこまでも消えない。 たとえこの世界が終わっても、彼女達はきっとどこかでまた出会い、笑顔で踊っている。

それはダンス部の仲間としてかもしれないし、
演劇部の仲間としてかもしれないし、
ちょっと飛ばしすぎな学園の番長達かもしれないし、
少年に生まれ変わって旅をして宇宙人と出会う物語かもしれない。


  舞浜駅への帰り道にそう思うことができたなら、 この物語は悲しい別れの物語ではなく、時空を超えた繋がりの物語になります。  

この作品に私達は、大好きな人達のたった数十年の刹那の人生の、その先を託すことができるのです。   

だから私は、この作品に出会えて本当に良かったと思うのです。 

 最愛のももいろクローバーZという人達に、この物語のように何度生まれ変わっても切れない繋がりがあってほしいと、観劇を終える度に強く願います。

我が推し達よ永遠なれ。

  もちろん何度人生をやり直す中でも交通事故には本当に気をつけてほしいですが。