前回はつらつらと僕の身の上話をしてしまったわけだけども。
ももクロの国立ライブにならってね。
僕もちょっとこれまでの歴史を振り返ってみようか,と。
ももクロのように華やかな歴史ではなかったけども。
ここ数日で少しばかり夢やら将来やら,過去やらを考えなきゃならない機会があったというのもあり。
ももクロの国立ライブを観たというのもあり。
そしてそのライブについて語っているブログを読んだというのもあり。
「おしえて兄さんのアイドルと日常…を綴るブログです
:ももクロの国立について、本心を綴ってみる」
なんだかいろいろ考えてしまったというわけだ。
さて。
冒頭で紹介した「ももクロの国立について、本心を綴ってみる」という記事が大反響。
やっぱり本心というのは人に突き刺さるもので。
僕も例に漏れず何とも言えない熱い気持ちがこみ上げてきてしまったものだからこの記事を書いているんだけど。
おしえて兄さん(以下は勝手に親しみを込めてお兄さんと呼ぶ)はももクロの国立ライブが読点ではなく句点になってしまったのではないかと危惧していた。
つまり一区切りと言うより結末を強く感じたらしい。
「今回の国立は、『終点』であるかのように私は感じてしまった。
おそらく『集大成』を見せようとしたのだろうけど、
ただそれだけに終わり『未来への志向』を感じることができなかった。
ただの『通過点』ではなく、まるで『終点』のようなコンサート」
この気持ちも分かる気がする。
やっぱりこれまでの歴史を振り返るという行為は少し結末を思わせてしまう。
そして未来への志向を感じることができなかった理由の一つがこのように書かれている。
「私のこの危惧の一つのきっかけとなった場面が、Blu-rayに収録されています。
Day1のDisc2。
チャプター13。
1時間14分5秒の箇所。
松崎しげるがメンバーに問いかける。
『どうする?次の夢は?』
五人の答えは………
『沈黙』でした。
(中略)
明確な『夢』へのビジョンの欠落。
『どこを目指すべきか、彼女たちは分かっていない』ーー。
そう私は感じ、目を伏せてしまったのです」
たしかに松崎しげるさんが日産2daysを告げる時に国立の次はどうする?と問いかけた時,ももクロの5人は棒立ちだった。
友人・タケキヨと見てた時なんかはそのまま流していたけど,さすがお兄さんは目の付け所が違う。
言われてみれば「国立の次の夢」に対して,あの時5人は明確なビジョンを持っていなかったのかもしれない。

画像の出典:高橋陽一 「キャプテン翼」 (集英社)
こんなに衝撃的なシーンなのにただ流してみていたなんてもったいない。
僕はもう「次の夢に目を向けている松崎しげるさんかっこいいなぁ,こういう大人っていいよね」みたいなこと考えていたわけですけど。
違うよ。
別に松崎しげるさんを観るための国立Blu-rayじゃないんだから。
そこでお兄さんに感化されて改めてあの時の沈黙について考えてみた。
(その副産物が昨日の記事だ)
お兄さんは沈黙を重苦しく,空虚(明確なビジョンがないという意味で)と表現していた。
ももクロのこれからに不安を感じていたように,「沈黙」を不安要素として捉えていた。
すでにお兄さんのブログのコメントにも書いたけれど,僕は割と真逆の感想になった。
「沈黙」こそがこれからのももクロの記念すべき第一歩だったのかもしれない。
夢へのビジョンが描かれていないということは,これからももクロの5人が自分の手で夢を描いていくということに他ならないのではないかって。
これまで大人から与えられていた壁ではなく,ももクロが自分たちで壁を作ってそれを乗り越えていく段階に来たんだって思ったんですよ。
だから即答できずに「沈黙」がその場を支配した。
あの沈黙から新しいももクロの物語が始まったんだと感じたんです。
(僕のコメントに対するお兄さんの返信に,またなるほど…!と思ったんだけど,それはお兄さんのブログで確認してほしい)
何かを始める時って不安ですよね。
高校や大学への入学,あるいは就職。
何かに挑戦する時もそう。
この先どうなるかわからない。
新しいことを始める時には不安がいっぱいです。
でも同時にこれからの未来に対して希望があふれてくる。
それはやっぱりどうなるかわからないから。
僕は春の一大事の「沈黙」からそんな希望を感じることができた。
そしてその沈黙の答えは2日目の夏菜子の挨拶に繋がるんだと思う。
でもそれはまた次の記事のお話だね。
2日目の感想を書く前に1日目の「沈黙」について考えることができて良かった。
この場を借りてお兄さんにお礼申し上げたい。
ありがとうございます。
これからもブログ楽しみにしてます。
ももクロの国立ライブにならってね。
僕もちょっとこれまでの歴史を振り返ってみようか,と。
ももクロのように華やかな歴史ではなかったけども。
ここ数日で少しばかり夢やら将来やら,過去やらを考えなきゃならない機会があったというのもあり。
ももクロの国立ライブを観たというのもあり。
そしてそのライブについて語っているブログを読んだというのもあり。
「おしえて兄さんのアイドルと日常…を綴るブログです
:ももクロの国立について、本心を綴ってみる」
なんだかいろいろ考えてしまったというわけだ。
さて。
冒頭で紹介した「ももクロの国立について、本心を綴ってみる」という記事が大反響。
やっぱり本心というのは人に突き刺さるもので。
僕も例に漏れず何とも言えない熱い気持ちがこみ上げてきてしまったものだからこの記事を書いているんだけど。
おしえて兄さん(以下は勝手に親しみを込めてお兄さんと呼ぶ)はももクロの国立ライブが読点ではなく句点になってしまったのではないかと危惧していた。
つまり一区切りと言うより結末を強く感じたらしい。
「今回の国立は、『終点』であるかのように私は感じてしまった。
おそらく『集大成』を見せようとしたのだろうけど、
ただそれだけに終わり『未来への志向』を感じることができなかった。
ただの『通過点』ではなく、まるで『終点』のようなコンサート」
この気持ちも分かる気がする。
やっぱりこれまでの歴史を振り返るという行為は少し結末を思わせてしまう。
そして未来への志向を感じることができなかった理由の一つがこのように書かれている。
「私のこの危惧の一つのきっかけとなった場面が、Blu-rayに収録されています。
Day1のDisc2。
チャプター13。
1時間14分5秒の箇所。
松崎しげるがメンバーに問いかける。
『どうする?次の夢は?』
五人の答えは………
『沈黙』でした。
(中略)
明確な『夢』へのビジョンの欠落。
『どこを目指すべきか、彼女たちは分かっていない』ーー。
そう私は感じ、目を伏せてしまったのです」
たしかに松崎しげるさんが日産2daysを告げる時に国立の次はどうする?と問いかけた時,ももクロの5人は棒立ちだった。
友人・タケキヨと見てた時なんかはそのまま流していたけど,さすがお兄さんは目の付け所が違う。
言われてみれば「国立の次の夢」に対して,あの時5人は明確なビジョンを持っていなかったのかもしれない。

画像の出典:高橋陽一 「キャプテン翼」 (集英社)
こんなに衝撃的なシーンなのにただ流してみていたなんてもったいない。
僕はもう「次の夢に目を向けている松崎しげるさんかっこいいなぁ,こういう大人っていいよね」みたいなこと考えていたわけですけど。
違うよ。
別に松崎しげるさんを観るための国立Blu-rayじゃないんだから。
そこでお兄さんに感化されて改めてあの時の沈黙について考えてみた。
(その副産物が昨日の記事だ)
お兄さんは沈黙を重苦しく,空虚(明確なビジョンがないという意味で)と表現していた。
ももクロのこれからに不安を感じていたように,「沈黙」を不安要素として捉えていた。
すでにお兄さんのブログのコメントにも書いたけれど,僕は割と真逆の感想になった。
「沈黙」こそがこれからのももクロの記念すべき第一歩だったのかもしれない。
夢へのビジョンが描かれていないということは,これからももクロの5人が自分の手で夢を描いていくということに他ならないのではないかって。
これまで大人から与えられていた壁ではなく,ももクロが自分たちで壁を作ってそれを乗り越えていく段階に来たんだって思ったんですよ。
だから即答できずに「沈黙」がその場を支配した。
あの沈黙から新しいももクロの物語が始まったんだと感じたんです。
(僕のコメントに対するお兄さんの返信に,またなるほど…!と思ったんだけど,それはお兄さんのブログで確認してほしい)
何かを始める時って不安ですよね。
高校や大学への入学,あるいは就職。
何かに挑戦する時もそう。
この先どうなるかわからない。
新しいことを始める時には不安がいっぱいです。
でも同時にこれからの未来に対して希望があふれてくる。
それはやっぱりどうなるかわからないから。
僕は春の一大事の「沈黙」からそんな希望を感じることができた。
そしてその沈黙の答えは2日目の夏菜子の挨拶に繋がるんだと思う。
でもそれはまた次の記事のお話だね。
2日目の感想を書く前に1日目の「沈黙」について考えることができて良かった。
この場を借りてお兄さんにお礼申し上げたい。
ありがとうございます。
これからもブログ楽しみにしてます。